スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

んー。

今日も暑いです。
昨日の夜も激しく雨が降りました。

最近読んでいる本。
小川了の「奴隷商人ソニエ」という本です。
西アフリカの特にセネガル周辺での奴隷交易のことについて詳しく書かれていて、とても興味深いです。
その時代のいろんな背景と実態と思想などがよくわかります。


ところで。
ジャオ家のファティマタはまだ入院中です。
遅くとも金曜日(今日)には帰ってくるだろう、と言っていたのですが、ジャオからさっきメールがきて挨拶のメールだったけど、最後が「あとでね」じゃなくて「またね」っていう言葉で終わってたから、うーん、今日も帰って来れないのかな。

ほぼ元気になっているんだけどな。
一昨昨日はまだちょっとゼイゼイ言ってたけど。
早くみんな帰ってきてほしいです。
スポンサーサイト

脱、完璧志向。

いろいろ悩むことが多いです。
何故悩むのか。
eiちゃんとよくいろんな問題について話します。
電話代がかさんでいます。
eiちゃんごめんね、Tigo買います。

私は常にドラスティックな解決を求めてしまう。
完璧にすべてきれいに片付けないと無意味なんじゃないかと思ってしまう。
だけど、何においても根本的な解決なんて不可能で、その場その場で臨機応変に対応していくしかない。
でも、どうしてもそれがその場しのぎのような気がしてしまう。
でもその場しのぎが大切なんだろうな。
例えば、掃除でもそうです。
完璧にしようと思うと気が遠くなって手をつけられない。
でもその場しのぎに目の前のゴミをゴミ箱に入れることで、部屋が少し快適になる。

こんなことを最近考えるのは、私には貧困っていうものが理解できないんだな、という自己反省からです。
身の回りにお金で困っている人がたくさんいます。
知り合い、近所の人、知り合いの知り合い。
私の任地の前任者と親交が深かったある知り合い一家は、お金に困ったときその日本人に援助してもらったりしています。
その家族は日本人はお金に困っていないということを実際によく知っているので、私自身はあまり付き合いは深くないのですが、お金を貸してくれと言われたりもします。

なんだろうなー、なんかその家族、やたらラッキーじゃないって思っちゃうんです。
日本人と仲良くしていることによって、お金を頼ることができる。
でもその家族以外にも困っている人なんてたくさんいて。
私は困っている人みんなを助けることなんてできないけど、だからといって困っているということを言ってくる知り合いだけ助けるなんて、なんだか不公平だし。
お金を持っている友達作った者勝ちというか。
って考えると、困っている知り合いにお金を貸してあげるのが気が進まない。
他の困っている人に対して悪いことをしているような。
要求した者勝ちというか。

うーん。
ここまで書いてて思ったけど、私は結局腹の底からの個人的な付き合いができていないんだろうな。
セネガル人全体、とか、困っている人全体を俯瞰して物を言ってる。
個人として深く付き合っていると、その人が困っていると助けてあげたいって自然に思うだろうし。
ということは、彼らは付き合いが深くもないのに、お金を要求してくる無礼者ということか。
通りすがりでお金頂戴って言ってくるおばちゃんたちや子どもたちと一緒ということか。
でもそんな8ヶ月やそこらの付き合いで、腹の底からの付き合いなんてできるのかな。
でも日本人とだったら3日あれば相当仲良くなれるように思う。
やっぱり私は相当バリアを張っているんだろうな。
文化も考え方も違うし、経済観念も違うから、ある程度は警戒しなきゃいけないとは思うけど。
頭の固い日本人です。

まー頭の固い日本人なりにがんばります。
気の置けないセネガル人の友達を作ります。


どうやら日本人って特殊らしいです。
貧しい人は裕福な人に頼って生きてたり、その日の生活を何とか成り立たせているもので、
それなら、お金がある人にお金を要求するのは当たり前で。
そういうのが見られない日本は本当に発達しているんだな、と。
お金や職業を手に入れるのも、その人の努力以上に、チャンスがあるかないかがここでは大きい。
チャンスは平等ではなくて、タイミングだったり、自分で貪欲に手を伸ばしたりして手に入れるものなのです。
だから、とりあえず、お金頂戴って言ってみるんだろうな。

私はいろんな意味で弱者の立場に立ったことがありません。
五体満足に生まれてくることができて、お金に困ったこともなく、テストで悪い点をとった経験もあまりない。
だからわからないことがたくさんある。
そういう意味でコンプレックスを感じていて、罪悪感を持ったり落ち込んだりする。
自分の問題はここだな、と、さっきeiちゃんと話してて思いました。
私がテストで100点取ったとき、10点しか取れなかった子に対して罪悪感を感じてしまう。
100点を取った自分を素直に喜べない。
そして10点を取ったことがないから、その子の気持ちがわからない。
でもなんだか悪いことをしてしまったような気がしてしまう。
今、私は生活してて、例えば新しい服を買ったとき、その服を外に着ていくのに若干勇気がいる。
お金があると思われるのが怖い。
でも平等なんてありえなくて、彼らは私たちにお金があることなんてわかっているし、貧富の差を感じることなんて日常茶飯事で特に何も思わないみたいだし、私が非難されているように感じる彼らの言動も、決して非難しているわけではない。
eiちゃんに言われたのは、みんな生活を楽しむ権利があるということ。
私は周囲の人に必要以上に引け目を感じてしまう。
お金には困ってないし、贅沢品を買うことができる。
でもそんな贅沢品は私が生活を楽しむ上では必要なものだけれども、周りの人はそれを見てお金を頂戴と言う。
そこでお金をあげずに自分の生活を楽しむ私はひどい人間なんじゃないか、と。
でもみんなとりあえず言ってみているだけで、それで少しのお金でももらえたらラッキー、くらいの気持ちだし。
でもいちいち物事を深刻に考えてしまう私は、この人にちょっとあげてしまうと他の人にもあげなきゃいけない、他の人たちに不公平だ、とか。
まぁそんなその辺の人にあげる必要はないですが。
何が言いたいかというと、罪悪感を感じてしまって、しんどいことが多い、と。
なかなか割り切れないなー。

セネガル人の考え方は「自分が100円持ってて、自分の生活には50円あれば足りるのであれば、困っている人がいれば50円あげる」という感じだそうです。
生粋の日本人である私はその日暮らしのお金の使い方はしないし、でも明日何があるかわかんないし!ってなる。
ある程度持っていないと落ち着かないし。
けど、セネガル人は、もし明日何かがあったら、他の人に助けてもらうんだろうな。
持ちつ持たれつ、なんでしょうね。

だから、私が困っている人を助けてあげたら、その人も私が困っていると助けてくれるようになるんだろうな。
でも、私はその人たちとずっと近くで付き合っていくわけじゃないし。
って思うと、・・・また罪悪感だな。

なんていうか、私は今こうしてここで生活しているけど、また発展した日本に帰るわけだし、どうしてもある程度しかわかることができないって思う。
でも、もっと力抜いて一緒に楽しく生活すればいいじゃないっていうのが最近の私のテーマです。
ここで生活している間は一緒に生きていくわけだし、バランスをとってやっていきたい。
なんだろうな、何に関しても、その全体像を見てしまって無力感に陥るというか。
例えば目の前の困った人を今日助けたとして、じゃあ明日はどうなる、他の困っている人はどうなる、とか。
根本的には何も解決しないじゃないか、と。
でもきっと明日は明日でどうにかがんばるんだろうし、他の人は他の人でなんとかやっていくんだろう。
とりあえずその場しのぎ、それにも大きな意味があるんだろうな。
だって今日が何とか無事に終わるんだから。


活動にしてもそのような問題があります。
私の活動で何かが変わるのだろうか、何が残るんだろうか、抜本的な改革はできないのか。
などと、考えてしまいます。
そんな大層なことが簡単にできるわけありません。
できるならもうみんなやってます。
大切なのは日々の一挙手一投足。
それが誰かの心に少しでも響くときがくればいい。
そこに意味があるということをeiちゃんが私に教えてくれます。


ところで月曜日かな、とんでもない大雨が降りました。
家の前が海みたい。
子どもが泳いでいました。
一番深いところで太ももまで水が、、、
家の中まで水浸しのところもありました。
大変です。。P9201321.jpg

P9201323.jpg

また入院。。

昨日からファティマタがまた入院しました。
カフリンから車で1時間の中都市カオラックにある、そこそこ大きい病院です。
ここには点滴やら、呼吸を楽にする酸素供給器みたいなのもあって、レントゲンもとるし、なんだかそれなりに信用できそうです。
いろいろ検査もしてるみたいだし。

ただ、病室が狭いし、いっぱい。
大部屋にベッドが10台くらいあって、しかもファティマタはちっちゃいから、一つのベッドを二人の子どもで共有!!?
これには驚きました。
そしてそれぞれの子どもには付き添いの母親もいますが。
寝るとこなし。
体を曲げて夜を過ごすしかありません。。
ひどい状況です。
付き添ってる人がそのうち病気しちゃうんじゃないかという気がします。
でもさすが、彼らは体が強い。
ほんとにその強さに感心します。

というわけで、今日は1日また病院で付き添ってきました。
疲れた。ほんとに。


さて、ところで。
こちらにはいろんな常識があります。

日本人のみなさん、車のエンジンがかからないときってどうしますか?
ここは常夏。エンジンが冷え切っているということはありません。
ただ単に、ボロボロ、日本ではまず全く見かけることがありえないオンボロです。
ドアは閉まりにくい、中から開かない(開けるレバーがない)、フロントガラスはヒビだらけ。
スピードメーターが動く車なんて見たことがない。
サイドブレーキってなんだ?
それが当たり前。
30年は走ってんじゃないかな、という。
あんた、どこの国から来たんだい?と尋ねたい。
ベンツのマークを付けてトヨタの窓だったりします。
そしてプジョーってデカデカとペイントしてたり。笑
あ、こんな飾りをつけてデコレーションしてたりします。かわいいでしょ。
 P8071118.jpg   P8071119.jpg

まーそれはともかく。
こちらではすんなりエンジンがかからない車がたくさんあります。
さて、どうするか。
男たちが集まってきて、みんなで車を押します。
そしてちょっと勢いがついてきたところでエンジンをかけると…かかるのです。
まー構造を知っている人からするとそりゃ当たり前の話かもしれませんが、その作業を狭い車乗り場で毎日何回もやっています。
当たり前のことのように。いや、彼らにとっては当たり前なんだろうけど。
すごく危ない。。

また、車に乗っている途中でボンネットから煙が出てくることも、まぁよくあります。
珍しくはありません。
そうすると、みんな何も言わずに降りて、しばらく運転手が直すのを待ち、車を押してエンジンがかかると、何事もなかったかのようにみんなまた車に乗り込み出発します。
セネガル人、すごいなって思うのはこういうとき。
みんなこんなこと、まず文句を言いません。
運転手が寄り道したって文句言わないし。ほんとすごい。
おとなしく待ちます。

エンジンがなかなかかからないのも、途中で車が故障するのも当たり前。
運転手がよくわからない動きをしても当たり前。
そしてそれは何分かで大抵解決する日常的なことなのです。


セネガルの常識、その2。
今日電気代の支払いに行っていました。
月初もすぎましたが、支払いに長蛇の列ができていて、まぁおとなしく順番を待っていたんですが、、
おもむろに入ってきた、どうも敬虔なイスラム教徒っぽい男性が2人。宗教服をきちんと着て、帽子もかぶっていました。
彼らも電気代の支払いに来たようです。
すると、どうでしょう。
順番無視で横入りです!!!

いいのか、と思ってまわりを何気なく見渡すと、みんなの顔はD’accord(納得)。
そういうもの…!?
ここは公共料金の支払い場ですけど、、、そこでも彼らの服は幅を利かせられるのか…。

そういえば車に乗るときもそうです。
こちらの交通手段として、7人乗りの車が主流なんですが(セットプラスといいます。7つ席があるという意味です)早く来たもの順に席が決まります。
助手席→2列目→3列目という風に。
助手席が一番楽で、3列目がほんとにきつい。
幅もきつければ頭も天井にぶつかるし。
長時間の3列目はつらいものがあります。

でも最初に来ていても、そのイスラム教の立派っぽい人がきたら、いい席を譲らなければいけなくなります。
とてつもなくデカいおしりのおばちゃんだったら、、、しょうがないな、譲ってあげようか、と思うけど。。
まーその立派っぽい人も大抵おじいちゃんだからいいんだけどね。


そう、今日はそんなセネガルの常識をお伝えしました。


あ、一昨日実家からの船便が届きました。
差出日、6月15日。約3ヶ月かかったものです。
みそがネズミに齧られていた以外は無事でした。
わーい!!
昨日はさっそく塩ラーメン食べたよ!
でもその後ジャオ家に呼ばれて結局晩ごはん2回食べるという、、、デブコースでした。

最近周りのセネガル人みんなが「太った」と誉めてくれます。

9月11日。

今日は朝から大雨。
雨が降り続いているのをいいことに、お昼すぎまでよく寝ました。


ところで、ジャオ家の赤ちゃん、ファティマタが病気なんですが、なかなか治らない。
ずっとぜいぜい言っています。苦しそう。

今日ジャオ家に行くと、セネガルの民間療法的な医者のところに行くと言うので一緒に行ってきました。
行ったのは町はずれの家。
セネガル式の藁ぶき屋根の家に入って少し待つとおばあちゃんが出てきてファティマタの様子を診てくれました。
民族語での会話だからよくわからなかったけど、胸と鼻が悪いね、ということで、マダムが持参した貝殻のようなもの(勾玉みたいな感じ)を麻ひもに縫いつけて、ファティマタの体にネックレスのような形でつけました。
おまじないのようなものです。
それからよくわからない葉っぱの束をくれて、おしまいでした。
それを煎じて飲ませるようです。

早く治るといいな。


今日は9月11日。
テレビでは9・11特番をやっていました。
合掌。


昨日のお祭り、コリテは日本のお正月のようなもので、ジャオ家には挨拶にくるお客さんがまだまだ絶えませんでした。

学校は10月11日くらいに始まるとのこと。
あと1ケ月。のんびりします。

コリテ!

今日はお祭りでした。
ラマダン明けのお正月みたいな感じ。
みんなセネガルの服を新調して、お肉をいっぱい食べます。
そして、去年から1年分の「ごめんね」を言いながら挨拶回りをします。
具体的にごめんね、ではなくて、まーいろいろ迷惑かけてごめんね、今後ともよろしく、といった感じ。

今日は朝から食事ができるので、みんなとても嬉しそうでした。
朝は、雑穀のミルで作ったうーん、ペースト?なんと表現していいかわかりませんが、パテみたいなのに、飲むヨーグルトみたいなのをかけて食べるラーハという甘いごはんでした。

それからバケツいっぱいの玉ねぎをみじん切りにして揚げた鳥と一緒に油で煮込む料理を作りました。
美味しいんだけど、油がひどい。。
あ、みじん切りといっても、こちらの人は空中切りです。
すごく上手にみじん切りになります。
私はまな板とマイ包丁を持って手伝いました。

で、それを食べる。

いっぱいいっぱい作って、近所に配ります。
この国のホスピタリティ精神です。

夕方から、みんなきれいな仕立て上がりの服に着替えます。
ジャオ家にいる子どもたち。P9101274.jpg
みんな同じ生地で服をつくりました。
男の子のピンクは可愛いね。
私は浴衣着てみました。
すごく可愛い、と大絶賛!!

あとで、中学生の子に着せてあげました。
喜んでくれて大満足でした。
帯上手にできたよー☆
P9101283.jpg

わりかし楽しくていいお祭りでした。

9月になりました。

なんだか怠けて更新しないうちに1カ月が経ってしまいました。
心配してくださった方々、ありがとうございます。
まさこは幸せ者ですなー☆

というわけで、まだまだ続いている夏休み。

8月、いろいろあったなー。
怠けているうちに、書きそびれましたね。
もったいない日々です。
特筆するべき事項としては、セネガルに一緒に派遣された7人の仲間が飛躍的に仲良くなったことかな。
それぞれの任地行って超遊びまくってなんだかよくわかりませんが、かなり仲良くなりました。
飲んでふざけまわっているだけなんですが。
そう、全員お酒を飲む仲間たちなのです。
私はふざけ過ぎて腰を痛めました。
まーもう治ったから笑い話にしてもいいですよね…?
気をつけます。
悪い癖です。
うちの地元の方言では私みたいな人のことを「さいあがり」といいます。
テンションが上がり過ぎて悪ふざけする傾向のある人間を指してこう言います。
「さいあがる」という動詞もあります。
「また、あんた、さいあがってからに!!」
と、よく怒られます。

写真は8月29日だったchieちゃんの誕生日の様子。
楽しそうでしょ?
P8290106.jpg


9月…何もないな。
何もなくはないけど。でも日々とことんだらだらしています。
これといって何もしていない。
生活しています。
でも生活を楽しめるようになったという意味では成長したかな。
日々何かに追われていないと情緒不安定になってしまう傾向があるのですが、とりあえず大丈夫。
暇が苦手なのです。
うちの家族もそういう傾向あるかも。
暇だとわざわざ仕事作ったり。
私の場合は自分で仕事を作るのも苦手なので、暇だとろくなことをしません。
でも、今回は「おうちを住み心地よい環境にしよう計画」のもと、着々とプロジェクトを進めています。
机作ったり。(3つも作った。)
キッチン作ったり。(料理が楽しくなりました。ただ、ジャオ家にごはんを食べに行かないと、えらい文句言われますが。バランスが難しいです。)

あ、ところでラマダン(断食)中です。
今日終わるけど。
あ、断食というのは日中食べないだけで朝早く(5時)と夜(7時半くらい)からは食べてOKです。
水も飲みません。
唾を飲むのもだめで、みんなその辺に吐いてて汚い。
そして、明日は断食明けの祭り「コリテ」です。
楽しいのかな。楽しめるか心配です。。
だってきっとごはん作って食べて、待って食べて、待って食べて…
そして挨拶回りするらしいけど、、、「待つ」っていうのがね。。いつもちょっと苦痛です。
なにもせずぼんやりそこに居るだけなんだもん。

断食は試してみたけど、、、きつい。
私たちの体には合わないんじゃないかな、と思います。
正直、ここで生活しているだけで頑張っている自分は認めざるを得ない。
楽しいけど、無理してる面はたくさんあると思います。
意識的にも、無意識的にも。
ラマダン中は知り合いに会うと、「断食してる?」という質問を必ずといっていいほど受けます。
そして「してない」と答えると、責められます。
断食していると誉められはすれ、断食していないからといって責められるのは納得がいきません。
だって私はイスラム教じゃないし。
でも、今はみんなの関心事が断食だから、あいさつのようなもの、という結論になりました。
でも、質問を受けるたびに悪いことをしているような気になって、ストレスでした。
だから引きこもっているっていうのもある気がする。
一緒にいるのにおんなじことをしないのは優しくないのかな、とか、いろいろ考えたり。

この国で認められるためには、一緒に時間を過ごすことが重要なのです。
一日中、何をするわけでもなく、一緒に座っている、ぼんやりする、テレビを見る。
それが私たち日本人にとってはストレスです。
この国には、時間がもったいない、といった観念は存在しません。
時間はそこにあって、私たちはここにいる。
そう、「ここにいる」ということが大事な文化なのかな。
猫が寄り添ってひなたぼっこをしているみたいに、家族で時間を過ごします。

私たちはそんな暇があったら、あれしなくちゃ、これもできる、と考えますが、彼らはそんなこと考えないみたい。
だから、一緒にいると、無為に時間が過ぎていくような気になってやたらと焦ります。

私はやっぱり常に何か向上していたいと思ったりする。
そのためには今できることを何かしていないと落ち着かない。
用事を済ますことだけではなくて、本を読む、とか。
時間貧乏性かな。
日本人はみんなそうだと思いますが。

それから、一人でいることにみんな慣れていません。
だから、一人で居させないように、気づかいをしたりする。
私が一人で一軒家に住んで、1日中顔を見せないことなど、彼らはきっと不思議なんだろうな。
私は一人でいるのがわりかし好きだし、することなんていっぱいあるし、一人になる時間は自分にとって不可欠なものだし。
は、結婚できるか、私。
子育てできるのか、これで、私。
まーそれは置いとこう。。

先週の金曜日から、ジャオ家の赤ちゃん、ファティマタ(10カ月)が体調を崩して、今週病院に入院していました。
今日退院して、ほっとしたところです。
また完全に健康とは言えないけど。

入院中、マダムはもちろんずっと病院に一緒に泊まっていて、そして家族も昼間ずっと何をするわけでもなくそこで過ごし、夜は食事を届け、人が入れ替わり立ち替わりずっと病室にいました。
私も1日中病院でいたりしましたが、結構消耗。
マダムを一人にさせないという気づかいだと思います。
そしてそこで一緒に時間を過ごすのが、とても大切なことのようです。
そして、家で留守番している人もできるだけ一人にさせないこと。

昨日、私は夕方マダムと一緒にいて、そして夜、家族が揃って病室に来ました。
家で留守番している人が一人のようだったので、じゃあ私は帰ると言ってジャオ家に帰ると、留守番をしていた彼はとても喜んでくれました。
一人でいる、ということがさも大事件のように、「ぼくは一人だったんだよ!!」と言っていました。
いい歳して。38歳のくせに。笑
一人でいることに慣れていないし、誰かと一緒にいるのが当たり前。
だから急に一人にされると、不安なんでしょうかね。

先進国は個人主義とまでは言いませんが、うん、人によって違うという考え方とか、人が一人独立している気がする。
というか、一人で考えなきゃいけないこととか、自分が責任を持たざるを得ない状況が必ず存在する。
ここでは、他人と一緒にいるのが当たり前で、一人ということが考えられない。
自分と相手の境目が不明瞭だから、相手の立場に立ってということができないのかな。
自分と違う、ということがうまく飲み込めない。
悪いことではないし、一緒にいる、ということを自然にできる彼らを見ていると、羨ましくもあります。

ただ、何というか、人と気持ちをわかり合いたいという情熱は私たち日本人に比べて少ない。
うーん。。。
お互いの間に境がないから、わかり合う必要がないのかな。
一緒に生活するということが大事で、心の底の部分を理解して欲しいという感覚はない(と思う)。
それは宗教の規範が何より大切だ、とみんなが考えているということも関係しているのかもしれません。
正しいのはコーランの教えで、それに従うことが最優先事項。
個人の考えとかはみんなが持っているのかどうかさえあやしい。
というかそれを持つ必然性がない。
誰に聞いても同じ答えが返ってくる質問がこちらにはたくさん存在します。
なんでみんな同じ考えなの!?ってびっくりする。
自分の頭で考えているのではなくて、既成の、ここでは当たり前の考え方に疑いを持たず、それを内面化できているんでしょうね。
それはそれで楽というか、問題はないんだろうけど。
私からすれば不自然。

でも、、、周りと違う考え方をする人もいると思うんだけど。
「私はこういう人間なの、それをわかって!!!」という自己愛があまりないのか?
でもたまに着飾って、ナルシズム全開のブロマイド写真を撮ったりする。

セネガル人を理解するためにはセネガル人の視点で見なければいけないんだと思いますが、それが私にはほんとに難しい。
ここにきて、自分はなんて純日本人なんだとびっくりしました。
自分で思っていたよりずいぶん頭が固いです。。はぁ、大変。

あ、何が言いたいかわからなくなってきました。
これについてはやめます。
ほんま、思いつくままに書いてて読みづらくてすみません。


そう、ファティマタが入院してたんですが、こっちの地方医療に愕然としました。
熱なんて測りません。
うんちなんて調べません。
喉を見たりもしません。
点滴なんて、もちろんありません。
熱、下痢の症状で、とにかく薬。
解熱剤、下痢止め剤、その他…。
ファティマタのちっちゃい体に一度に3種類以上の薬。。ひどい。
そして、熱が出てきたらまた解熱のために注射を打ったりします。

そもそも、病気の原因は何なのか、それを調べない。
調べる技術や方法がない。
みんな、歯が生えてきたせいだ、ということで納得しています。
医者までそう言います。
びっくりして、姉ちゃんに電話して聞きました。
迷信とまでは言いませんが、そこには科学的な因果関係はないはず。
歯が生えてくる時期に体調を崩したりすることが多いのかもしれませんが、それが原因なんて、聞いたことがない。

といっても、私も何もしてあげられません。
医療の知識はないし。
医者に噛みつくわけにもいかないし。
薬を飲ませすぎだと思っても、薬に頼るしかないし、それを否定して、じゃあどうすればいのと聞かれてもわからないし。
無力でした。

まだつらそうにしています。
早く治るといいな。見ててつらい。


なんだかまた長々と書きました。
日々、思うことはたくさんあります。
もっとこまめに更新しよっと。せっかく暇なんだから。
プロフィール

morimasako

Author:morimasako
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。