スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

雨が降る瞬間。

雨が降る瞬間。
それがすごくリアルに迫ってくるのを間近で見るのは結構迫力があります。

それを二度体験しました。

一度目は向こうから砂嵐が迫ってきました。
それまで曇ってはいたけれど、そんなにいきなり雨は降りそうになかったのですが、一緒に通りで話していた人に、いきなり「急いで!雨が降るよ!!」って言われてびっくりして「なんでわかるの?」って聞くと、「向こうを見て!」って言われて見てみると、その方向が茶色く霞んでいて、その霞みがどんどん迫ってくるのです。
そしてそれがやってくるとすごい砂嵐になり、その砂に混じって大粒の雨が。
すごい。
迫ってくるそれから逃げるように建物に入りました。

二度目は昨日。
雨が降りそうだったので、洗濯物を入れて空を観察していました。
そうすると、ある方向からバラバラバラッという音が聞こえてきました。
そしてその音が近づいてくるのです。
一緒にいたeiちゃんと「雨の音じゃない!?」ってびっくりして家の中に入ると同時に雨が降り出しました。
雨が音とともに近づいてくるなんて、、衝撃でした。


そんな雨季真っ只中。
停電も多く、暇なわけじゃないのに、日々の仕事に追われているわけではないのでなんだかぼんやり過ごしている時間が多いです。
生来めんどくさがり屋の私は目の前に差し迫った仕事がないと動かない。
追いつめられないと力が出ない。
やらなきゃいけないことはあるのに。
ほんとに力が出ず無気力状態に過ごしてしまいます。

とりあえず、家を心地よい環境にしようと動き始めました。
今日はカーテンをつけてみたり。
生活環境を改めて整えているのです。

というのも、先週他の何人かの隊員さんの家にお邪魔させてもらったりして、おもてなしを受けたり、その生活環境の快適さに刺激されて。
このままじゃいかん。
誰も呼べない。
というわけで重い腰をあげて動き出しています。

そう、この間セネガル内陸部の町、タンバクンダで隊員が日本祭を開催するということで、それに参加しに行ってきました。
浴衣着たよー。
持ってきて良かった。IMGP3964.jpg


日本祭には隊員が25人くらい集まってそれは盛大なものでした。
タンバクンダは保健系の隊員が多いので、保健の啓発もしたり、私たちのことをわかってもらうための劇を披露したり、よさこいを踊ったり。
あと日本の遊び紹介とか、日本食の模型展示してたり。
企画したタンバクンダ隊員は大変だっただろうと思います。

そして帰りにクンペントゥームという町にも遊びに行きました。
村に案内してもらったり、アメリカ人ボランティアの人と会ったり、楽しかったな。
そう、そこですごく弱っている子猫を見つけて拾ったのですが、その猫がかわいくて
連れて帰りたかったけど。
クンペンの隊員さんにお任せしました。

まーこんな感じで日々楽しく過ごしています。
まさこは元気です。P7231098.jpg

スポンサーサイト

我が町、カフリン

一週間、首都ダカールにいました。

セネガルに現在派遣中の隊員全員が揃う総会と健康診断のためです。

いやーダカールは都会だった。
毎回思うけど。
そして、毎回疲れる。
でも服買ったり、美味しいもの食べたりして満足。
中華とか韓国料理食べたし、生ビール飲んだし、アイスクリームも食べた!
ひゃっほいっ!!

昨日カフリンに帰ってきたのですが、やっぱり自分の家が落ち着きます。
自分の空間って大事だな。
そして、ジャオ家の人や近所の人と話すのが嬉しくて。
なんだかんだでここでの生活を楽しんでいるらしい自分を発見しました。
いいことです。

今日は朝から雨の音で起き、そして夜も大雨でした。
そして停電。
雨が上がって雲間から少しずつ、壮大に満天の星空が広がっていく過程は見ものでした。
なんとも美しかったです。
これも停電のおかげかな。月もなかったし。
ワールドカップの決勝、後半半ばでの停電でぶちギレていたのですが、それも許せるくらいに綺麗なものが見れました。

ダカールは停電もあまりないし、なんでも揃って便利ですが、不便でもやっぱり我が町カフリンが好きです。

スイカ泥棒。

スイカ泥棒に遭いました。

そう、私の家の水道周りにスイカが生えていたのです。
ウリ科っぽいなーと思って日々観察していると、案の定スイカの実が!
どんどん大きくなるのを毎日楽しみにしていたのです。

すいかってほんと大きくなるのが早い。
サッカーボールよりはちょっと小さいくらいにまで成長して、いつ食べてやろうかと考えていたある日。
おうちに帰ったらスイカがなくなっていました。


その翌日に犯人を発見。
それは近所の子どもたち。

ジャオ家のマダムと一緒に、その子どもたちの家に行き、子どもの親と話しました。

いやー恐ろしい。
私の家の壁は結構高いのですが、うちの前でサッカーをして遊んでいるこどもがたくさんいるので、ときどきボールが私の家に入ります。
そしたら子どもは壁を乗り越えてボールを取りにきているようです。
日常的に。

そして、その日はボールをとりに入った子がスイカを発見して、、、
取って食いました。

我慢できなかったんだろうな。


最近、家庭菜園を始めました。
日本から持ってきたいくつかの種を植えました。

オクラ、ネギ、三つ葉、春菊、そしてこないだ家から送ってもらった大葉。

待つこと数日、オクラの芽が!!!
P7031809.jpg

育つのが楽しみです。

外は砂嵐です。

外は砂嵐です。

さっきからちらっと雷が光っていたので、あー今晩は雨が降るかな、と思っていたのですが、いきなり、ほんと唐突に強い風が吹いてきました。
一瞬外に出たら全身砂まみれというくらいの嵐です。
富士山の八合目で風が強いときと同じくらいかそれよりもひどい。
なかなかです。
まずまっすぐ歩けないでしょう。

今は夜の8時半過ぎで、私はちょうど水浴びをしようとバケツに水を溜めているところでした。
ほんと唐突だった。
水を出し始めたときはそんなことなかったのに、バケツに水が溜まるまでのほんの短い時間で外に出られないくらいの状況になってしまうなんて、、、恐ろしい。

あ、雨も降ってきた。
ひどい雨です。

電気もありません。

トイレ行きたい。

トイレ外だし。。。我慢。

お腹もすいたよ。
ジャオんち行けない。

今eiちゃんに電話したら、1時間後に止むって。
でも「インシャッラー」って。

そう、この国は、というかイスラム教の他の国もだろうけど、なんでも未来のことに関しては「インシャッラー」と言います。
これも「ビシミラ」と同じでアラブ語。
「神が望むのであれば」みたいな意味。

「また明日ね、インシャッラー」

「何時にどこどこでね、インシャッラー」

そう、約束は常に確実に守られるものではないのです。
こっちが返答を濁したり、曖昧に約束したいときは便利なので私も使いますが、確実にお願いしたいことに対して「インシャッラー」と言われると、、、ちょっと嫌です。
でもこの気候的に厳しく不便な国では「インシャッラー」と言わざるを得ないのかな、というのも思います。

だって、例えば今日の嵐。
こんなのがあれば、待ち合わせの時間があったとしても行けません。

車だってそう。
余裕をもって車に乗ったとしても、途中で車が故障しただのなんだのっていうのも珍しくはないし。

ワールドカップも停電になると見れないし。
そう、仕事だって、停電になっちゃうとパソコンで資料を作ってても途中でできなくなるし、パソコンのバッテリーがあっても、プリンターが動かないし。

「インシャッラー」と言わざるを得ない場合が少なくありません。


この間の、日本戦。
ほんと、日本頑張ったと思います。
素晴らしかった。
すごいゲームだった。
日本代表に心からお疲れさまと言いたいです。
長時間に渡って、とても大変だっただろうな。

その日は朝9時くらいから停電になったので、14時からの日本戦はまた施設に見せてもらいに行かなきゃいけないかな、と思っていたのですが、正午過ぎに復旧。
ジャオ家の人々にも応援してもらいながらの観戦。

しかし、後半15分くらいから、まさかの再停電。
ギャーと叫び、すぐさま近くの発電機のある施設に走って行きました。
施設の人たちは「勝ったらジュース買ってくれよな」と言いながらも一緒に応援してくれました。(中には私をからかうためにパラグアイの応援をする人もいましたが)
一緒に一挙一動しながら長い試合を観戦し、PKのときは一緒に川島コールをしてくれました。

「川島っ!パンパンパン!(手を叩く音)」

終わって半泣きになっていると、みんなが「ゲームだから気にすることない。負けることもあるよ。」って慰めてくれました。
慰め方がやはりセネガル人です。
論点が私からすればずれている。
いや、ゲームなのは知ってるけど、悔しいじゃない。
選手たちがどんな気持ちでいるかとか、ここで敗退であることとか考えると。

「神様」なんですよね。ゲームの勝敗を決めたのは。

セネガル人の「悔しい」っていう感情の在り方についてリサーチしてみようと思います。
さて、彼らはどんな種類の悔しさを感じているのか。

あの時ゴールを決めていれば、とか、あの時シュートを止められていたら、ということを彼らは思わないんだろうか。
悔しくて悔しくて、後悔して眠れないっていうことはあるんだろうか。

でも「神様」のせいにしないとこんな厳しい環境ではやっていけないんだろうとも思う。

生きる知恵ですね。

学校のクラスの中では先生が子どもを馬鹿にしたりすることが普通です。
彼らは能力の上下をあからさまに言われることに慣れている。
悔しくないんだろうか。
でも誰も怒らない。
怒っている人もいるかもしれないけど、それに慣れないとセネガル社会で生きていけない。
人と人を比べて優劣をつけるのが当たり前に日常的に何の面においても行われているから。

あなたは阿呆だと先生が子どもに向かって言う。
先天的に、神様がそのように作っているのであれば、それこそそんなことは言ってはならないのではないか。
だってその子のせいじゃないのに。

努力してる人はものすごく努力してると思うんだけどな。
そして、努力していると、努力した分だけ馬鹿にされると悔しくなるのは当たり前のことだと思う。
私たちの能力は神様がすべて決めているわけではないと私は思うし、その人がどう頑張ったかも大きいんじゃないだろうか。
「努力をする」という才能が備わっていることも必要かもしれないけど。

でもその場で、その時に誘惑に負けずに勉強した、とか、自分の中にある力を振り絞って頑張ったのは神様じゃないし、その人の意思の強さだったりすると思ったりする。
だからうまくいかなかったことがあると、その責任を自分で抱えこまなきゃいけないことになるんですよね。
日本人のメンタリティって自己責任だなー。
そうやって生きていくのはハードだけど、そうせざるを得ない。
だから日本は発達したんだろうとも思います。

こちらの人はみんな日本人とは別の意味で心が強いと思います。
鈍いのかもしれない。
馬鹿にされても逞しく生きています。
でもそれはいいことです。
いちいち傷ついていられない。
鈍くないと一夫多妻制なんて成り立たない。

でもサッカーの勝敗を深刻に悔しがったりできるのは私たちが恵まれているからかもしれないとも思います。
だって私たちは明日のパンの心配しなくていいし。
明日のパンの心配をしなくてはならない環境にあるとサッカーの勝敗なんぞに構っていられませんよね。

そう、だから一夫多妻制を嫌がる恋愛至上主義の先進国民は、生存本能やらなんやらの基本的なところが満たされていて、そこに心配ごとがない。
だから、男女関係やら自己実現やらなんやらをやたら深刻に受け止めて、悩んだりするのかもしれないと思います。
なんていうのかな、人間に心配ごとや悩みは不可欠なものであって、生活の心配をしなくてよくなると、何か心配ごとを作りたくなる。
そして、それを深刻に考えるようになる。
人間はどのような環境にあっても、何か深刻な悩みごとを持ちたいというややこしい動物なのかも。
こういう言い方をすると、本当にひもじい思いをしている人たちに対して失礼になるけど。
ごめんなさい。

私はなんでもかんでもこう一般化して考えてしまう傾向があります。
だから、何がよくて何が悪いってはっきり言えない。
でもこう考えると、って思っちゃうのです。
自分の意見がはっきり持てないときが多い。
というか、それが私の意見であるのだと思います。
だから立場を決めきれなかったりする。
ややこしいな。

日本語でさえ、自分がどう思っているか、何を考えているかを言うのが難しく感じるのに、異文化の人に自分のことを理解してもらうのはほんとに大変な作業です。
いちいち難しく考えちゃうからいけないんですが。

ぼちぼち。

あ、雨が弱くなってきた。
もうすぐ10時。

雨と暗闇のせいでいらんことを書きました。
いつもに増して。

トイレ行こー。
プロフィール

morimasako

Author:morimasako
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。